けものであるということ

2年ほど前からになりますが、「チャラカサンヒター」というアーユルヴェーダの聖典の教えを受けています。
アーユルヴェーダが口伝えのように師から弟子へ伝えられてきた物であることは以前こちらに書きましたが、
聖典を学ぶと言った時、自分でその聖典を読んで理解するというのではなく、師に解説してもらいながら学ぶものだと
いうことを教えて頂きました。試しに自分1人で聖典を読んでも理解は及ばずその教えは私の中に入ってきません。
また、インド思想なので文化的にも分からないことがたくさんあります。
その学びの中で、先日先生が仰ったことです。
「みんな自分が動物であることを忘れたがってるんですね。
体調が悪いと感じたときにまずすべきなのは、規則正しい生活、食事を適正に摂ることを見直すことなどですが、
だいたいの人はそれをせずに、薬や医者に頼ろうとする。」
それを聞いたとき、はっとしました。私たちは、動物なんだ。
その3日前にライブに行って聴いた歌の歌詞が頭に浮かんできました。
「毛皮を脱ぎ捨てても 僕らはまだけもののまま
かみさまの言葉を 僕らは今日聞いてしまった。」
ROTH BART BARON 「けもののなまえ」
自分がけもの、動物であることを忘れることは、自分の身体をまっすぐに見つめることを忘れること。
どんなに文明が進んでも変わらない、私たちの原始からの身体をもう一度思い出す必要があります。
サーカディアンリズム(概日性)、自律神経そしてホルモンなど私たちの身体には素晴らしくとても事細かい
機能がそろっていて、それが不規則な生活や栄養が足りない食事、または余分な添加物や質の悪い油などを摂ることで
警報が鳴らされます。それにできるだけ早く気付いて、その声の言わんとすることに耳を澄ますこと。
実は、そこがアーユルヴェーダを勉強ししていて大切な部分なのだとだんだん分かってきました。
そう、本当に単純なことなのです。
自分の心と身体を注意深く毎日見つめること。
でも難しい。なぜ?
回りの声が大きすぎたり、自分の思い込みで声が違って聞こえてきたりするから。
私たちがけものと違うのは、こころを持っていて本能だけではない理性や感情があるところです。
もちろん、動物にも感情はあるでしょう。
心からも身体への影響は計り知れないほど大きいと言われます。
ですので、アーユルヴェーダでの健康な人の定義の中にもそう書いてあります。
私たちは人間であると同時に動物であるということを忘れないでおこう、と思いました。